大石農園は、ここ(^o^)/

大石農園のお米

教科書回帰

  いまをさかのぼること35年前の話、大石農園のお米は、まずかった。まずかった、というのは、作り方もまずかったし、考え方もまずかったし、もちろん、お米も不味かった。有機物はやりゃあいいと思ってたから、魚カス入れたり、豚糞堆肥いれたり、生ワラ収穫後すき込んだりした。結果ほんと、おいしくなかった。でも危機感はなかった。ぜーんぶ、農協で買ってくれたし、量もそこそこ、採れてたから、経営的にも、安定していた。

がある年を境に収量ががたっと落ちた。田植え後まったく分げつ(株が増えること)しない。

  分げつしないなら、しないで、いいのだけど、収穫を迎える頃になって、あわてて、分げつし始めるから、腹が立つ。こんな時にへんな、あな埋めみたいな、辻褄合わせみたいな事、すんなつーの。と怒ってみたところで、ぜーんぶ私がわるいんですけど。とゆうわけで、結果、青米は異常にふえるわ、美味しくないわで。こりゃあどうにかせんと、ならんということで、まず、上川農業試験場の偉い、先生に診てもらったら、「有機物やりすぎ。春先もっと、たんぼを乾かして、田んぼの持つ地力を活かしましょう」とのことだった。うちの田んぼは、粘土質が強く、ちょっとの肥料で、効果は大きく、逆に、有機質は、へたにやると分解されずに、悪い方に効いてしまうとのことだった。なーんとなく、うちの

たんぼって、メタボで高血糖で高コレステロールじゃないかな、とは、思ってたんだよね。たんぼさん、わたしもダイエットするから、あなたもね。ということで、魚カス豚糞堆肥生ワラすき込みは、やめた。もともとの肥料も減らし、側条施肥機付きの田植え機を導入。そして、珪酸肥料(なんと主成分はガラス)を田植え前と幼穂形成期の2回に分けて、散布。そして、なによりも、健苗作りに心をくだいた。ここまできてなにを教科書みたいなことを、というかもしれないけど、私にとって、教科書回帰は大きなできごとだったし、迷った時や困ったときは、基本に帰るというのは私の座右の銘となった。

 

ダイエットから体力作り

 

収量の低下から始めたダイエット?だったけど、結果は、収量の回復はもちろんだけど、数年の間で飛躍的にお米のタンパク値が下がった。これは、おまけ、ということではなく、これまた私にとって、大きなできごと。なにせ当時山部のお米は、見てくれ悪い、収量無い、味悪いの三拍子で食糧管理法の下政府売り渡し数量で明らかに、となりの旧富良野農協との間に理不尽なくらいの差をつけられていた。

そんなこんなですったもんだやってるうちに食糧管理法は、なくなるし、上富良野から、占冠まで農協は合併しちゃうし。旧富良野農協下の農家の人たちは、米作りに見切りをつけ、みんな、玉ねぎ人参作りだしちゃって、米作りの環境は、ずいぶん変わった。さてさて話をもどして、タンパク値と食味は、関係ないという人もいるけど、明らかに、相関関係は、大ですよ。自分でビックリするくらい、うちのお米がおいしくなった。見てくれ良くなり収量増えて味もよくなった。なんで、こんなによくなったんだろう、その理由が、過去に無軌道に投入していた有機物と今のダイエットがピッタンコバランスがとれて美味しいのだとしたら、これから、そのバランスをどう維持していくかが、大きな課題。もちろん健苗作りや、珪酸質肥料の投入、こまめな水管理と肥培管理が果たす役割は大きいと思う。これからもまだまだ、米作り一年生が続くなあと思う。

農薬について

  農薬の話はあまりしたくない。デリケートな話題だし、わたしもあんまり勉強してないし、つっこまれたら反論できないし、でもあえて何も考えずにしちゃおう。

10年前にくらべて、使う農薬の量は、半分になった。農薬は、悪。人間に悪いし環境破壊の張本人。でも必要悪だから、折衷案として使う量を半分にした。

というわけでは絶対ない。無駄なことは、しないという考えから、10年の間でじょじょに半分になっただけ。農業にとって、農薬は、必要です。農薬は、使い方さえ間違わなければ、安全です。誰かさんが、言ってる原発は今の日本には、必要です。原発は安全です。という話とは、根本的にちがう。と思う。

過去を振り返ってみても、江戸時代になり農業以外の産業が加速度的に生産性を上げるなか農業だけは、あいかわらず、律令時代とそう変わらぬ形態で農業をおこなっている中、享保の大飢饉がおこる。ウンカ(虫)の大発生により70%の減収。天明、天保の大飢饉は冷害とともに、発生したイモチ病で多数の餓死者をだす。1845年アイルランドでは主食のジャガイモに疫病が蔓延して、人口の8分の1の人達が餓死するという事件が起こる。人々は、国を捨て、アイルランドの人口は半分になってしまった。その後の経緯をおもいっきり、はしょっちゃうけど、農薬が登場したときの、当時の農薬の毒性たるや、入れ物の容器を溶かし扱いを間違えれば、即死するような、とんでもないものを、農民はもろてをあげて、歓迎し、こぞって使いだした。そんな状態に警鐘をならし軌道修正していったのは、科学の進歩であり、人類の進歩だと思う。進歩というのは、いつの世も右に左に振れながら、前にすすむものなのだとおもう。

大石農園では、お米10kgを2800円(平成28年の時点。現在3300円)で販売いています。この金額は、農家も消費者もどちらもしあわせになれる、分岐点だと思っている。この価格を支えているのが、農薬や化学肥料や近代工法による灌漑事業なんだとおもう。リスク(不利益)とベネフィット(利益)のバランスを固定的ではなく、その時の気候や虫、病気の発生の有無、買ってくれる人たちの事情、などなどで、そのつど調整していくものなのかなとも思う。(原発は、リスクとベネフィットのバランスがどうがんばってもとれないことが、今回わかりました)なんだかんだ言ったって農薬はしょせん「毒」でしょ。どんなに少量でも毒であることにかわりないし、それを、大気中や大地にまき散らす行為は、環境に負荷をかけていることに、間違いない。どんなにリスクが小さくてもリスクが存在する以上農薬も科学肥料も根絶やしにしなくちゃいけないって言ってる人もいる。でもそんなことを聞くとある種のむなしさを感じる。それは、「パパラギ」を読んだ時も感じたかも。「パパラギ」を読んだ時感動し、自分の生き方を恥じ、どうにかせんとならんと思うなかで、どうにもならんという思いが、そこにあった。そもそも環境破壊は、弥生時代から始まってる。私たちは縄文時代に戻れるのだろうか。というか、それ以前にこの星にとって人間そのものが、悪だとしたら。後戻りどころか、いなくなった方がいい存在だったら? 地球を守る最善の手段が人間の否定なら、私はあえて悪を選ぶ。飛躍しすぎ?ぶっ飛びすぎちゃったけど、私たちは、矛盾を抱えながら生きていくしかないのだと思う。ささやかなしあわせや楽な道を求めるのは、悪ではない。

あれ?話どこ行った?頭無いのに難しいこと考えたかな。

倉本先生も進みすぎた文明を批判してるけど、先生自身、もうぽっとん便所では、ウンチできないと思うよ。(ぽっとん便所でウンチしてたらごめんなさい)

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