昔は、、、

私が子供の頃の住宅は隙間がいっぱい、なんてもんじゃない。というか、わざとに隙間を作ってんのか、っていうような家だ。夏は過ごしやすい。冬は地獄のような寒さに耐えていたのか、というとそうでもない。昔は冬といえばこんな感じだった。ように思う。かまくらの中に家があるような感じで雪が断熱材のような役割をはたし意外とあったかかったのかもしれない。家の中で薪ストーブとか石炭ストーブをがんがん焚くからわざとに隙間を作り換気を図る。技術が無いんじゃなくて知恵か?それでも特に石炭ストーブは変なガスが出るから、おふくろは、冬の間よく頭痛に悩まされてた。それは、ともかく、昔は今と比べ物にならないくらい雪が多かったと思う。

この絵はご存じ東海道五十三次の静岡県蒲原町の絵だ。静岡県の風景はちびまる子ちゃんでしか知らないけどたしか雪景色なんてちびまる子ちゃんには出たことなんてなかったと思う。江戸時代の静岡県はこんなにも雪が多かったんだね。

お次は三重県亀山市の絵。これは富良野のスキー場の絵では、ないのだよ。三重県って静岡より暖かいよね。こうなったら、江戸時代って氷河期だったのかって思っちゃうんだけど、広重がこの絵を描いたのが天保3年1832年、天保の大飢饉は翌年天保4年。この年は冷夏で稲刈り時に雪が降ったという。(いやちょっと待て稲刈り時に雪が降るなんて富良野じゃ珍しくないぞ)それはいいとして、私の知ってる範囲だけでも、やっぱし昔のほうが雪は多かった。江戸時代の事は、知らないけどさ。でもこんなに飢饉が続いても都会でのお米の流通は過剰だった、って言うよね。今も昔もお米の経済学はへんてこりんだったんだね。

なにが言いたかったかって言うと、昔の家は死ぬほど寒くはなかった。ってことだったけ?

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コメント: 3
  • #1

    ジョンベラ (木曜日, 30 1月 2014 09:48)

    なるほど~囲炉裏や釜戸も環境悪化しない薪だし、本当のIn doorだったね!適当な隙間も二酸化炭素中毒を防ぐしね。藁ぶき屋根を瓦にふ葺き替えたらお蚕の元気がなくなったとか・・人間も同じ。家は手作り・ストーブは薪でしょう~。

  • #2

    農園主 (木曜日, 30 1月 2014 10:57)

    不便さをお金で買う時代になったのか、それとも人間の生き方が問われているのか、だれに問われているのか知らないけれど(ToT)

  • #3

    ジョンベラ (木曜日, 30 1月 2014 19:50)

    神かな~?私たちは立ち止まって考える時かも知れない、何が必要で何が不必要かを・・

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