こんな本を読んだ

社会の中の科学 中島秀人
社会の中の科学 中島秀人

なにを思ったのか、こんな本を読んだ。この本は放送大学の教科書なのだ。

お母さんに「こんな本読むの?というより読めるの?」と言われたが、まったくその通りだ。教科書なだけあって最後まで目を通すことは、どうにかできた。これを読んだといっていいのかどうか、わかんないけど。この本は科学の歴史の本です。科学と技術、科学と政治、科学と社会がどのように関わりあいながら発展していったか、という本です。わかったような気がしたとこだけ、書くと地動説が天動説にとって代わった歴史って天才ガリレオが華々しく登場して古い学説、間違った学説をめった切りにして出来上がったとばかり思ってたんだけど、地道な観測技術や精度の向上と数学の発展、慣性の法則に代表される数々の物理法則の発見、なんかがいーっぱい複雑に絡み合い助け合い反発しあいながら出来上がったんだそうだ。喧々諤々のいろんな、論争もあっただろけど、正しいとか正しくないとか良心的な論争以前の政治力とか人間性とか案外腕力とかで歴史が変わることの方が多いのかなあ、なんておもっちゃったりしてね。世の中の流れに翻弄されるのも科学者の生き方なら、世の流れに抗いながらも自分を貫き通すのも科学者だし、世の流れに乗ることが科学者の使命と真剣に信じることも(マンハッタン計画とか)科学者なんだろうなあ、とか論争や裁判で勝ったって、正しいとは、限らないし、さりとて100年たって、判断が逆転したとしても、さらに100年たてばその考えだってどうなるかわからない。結論として私は私の良心に従って生きていくしかないのだなあ、とあほは、あほなりに考えた一冊でした。

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コメント: 2
  • #1

    ジョンベラ (土曜日, 28 12月 2013 19:56)

    地球が回っている説からカントの”コペルニクス的展開”で対象がそこにあるから見えるのか?自分である私が見ているから存在するのか?対象が認識に従う。認識する側が世界を見ている。の話のなかで結局我々が見たいように見ればいいんだ・・自分勝手に生きていいんだ~という見解に達し(笑)

  • #2

    ジョンベラ (土曜日, 28 12月 2013 20:37)

    疑い深いデカルトが「考える私」は否定できないと。「私」は「私」である。今「私」である事は公的証明書が必要。近未来では機械識別(目・指紋)によるだろう・・もはや私が私である”確実の存在”も不確実。最近、自分自身が一番信じられない「自分」。

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