昭和の大横綱 大鵬がお亡くなりになりました。大鵬と柏戸の大熱戦ははっきりと覚えています。子供だったけど、ほんと夢中になって見てました。
あのころのスポーツってどうしてあんなにエネルギーがあったんでしょう。
東京オリンピックの閉会式のテレビ中継なんか、家族みんなが泣いて見ていたものです。大鵬が亡くなって、ひとつの時代が終わったんでしょうか。
大阪の高校生がスポーツから生きていく力をもらうどころか、生きていく力を無くし、自らの命を絶ってしまいました。パナソニックのバスケ部廃部のニュースと重なった所にスポーツの持つ役割の大きな変化を感じてしまいます。このことで私は、高校時代のある噂(というか半分本当だと思うんだけど、)を思い出しました。それは、野球部の顧問の先生が進路指導の先生をぶんなぐって、とある商科大学の商業科に割り当てられた推薦入学の枠に無理やり野球部の生徒をねじこんだという噂でした。その枠は、商業科に割り当てられた唯一のもので、地道に商業簿記や珠算やタイプライター(当時ワープロなんて無い)なんかをやっていた生徒に割り当てられるべきものでけっしてスポーツ枠ではなかったはずなんだけど、でもそのことは、なぜか、野球部の先生の武勇伝として好意的にみんな受け止めていたみたい。商業科の優秀な某生徒も「スポーツやってるやつには、かなわねえよな」ってあっけらかんと言っていた。 というか本来その座に就くべき人つくはずだった人は声を殺しだれも見ていないところでひとりでだれにも悟られないように泣くしかなかったのかな。スポーツにはよくも悪くもそれだけ力があったんですね。
今回の大阪の事件は時代が変わってきたのに、時代錯誤の指導方法をいまだに捨てられなかった先生の過ちだったという性質のものだったんでしょうか。私は、ある組織(会社だったり学校のクラスだったり部活だったり)の結束力や能率や士気を高める方法としてスケープゴートを作り出し不満や責任、場合によっては、というより当然、憎悪なんかを押し付けて排除あるいは公開私刑をおこなうという昔から行われている手法の犠牲者だったと思います。この手法の最も得意とする人は、大阪市長の橋下さんだと思います。
大鵬は平成21年まで日本赤十字社に毎年輸血運搬車「大鵬号」を寄贈し続けていました。スポーツの持つ役割は、心と体の健康に寄与することであると強く思っていたのだと思います。
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